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りゅうずの歴史

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りゅうずとは何か?

一般的な腕時計では、りゅうずは文字板の3時の位置の時計側面に配置されている時計部品の一つです。

腕時計のりゅうず

同じように時計側面に付いているプッシュボタン(ボタン)とくらべて、りゅうずはあまり使われているようには思われません。
しかし、「時刻合わせ」など時計を本格的に調節するときには、頻繁に使用されています。

 

そんなりゅうずですが、実はプッシュボタンよりも古くから存在し、驚くことに、その歴史は機械式時計の発明以前までさかのぼることができるのです。

日本の「りゅうず」は、竜の形をした飾りだった?

「りゅうず」は漢字で「竜頭」と書きます。
その歴史は、機械式時計が発明される遥か以前にさかのぼります。

 

もともとは、お寺の釣鐘(つりがね)をつり下げるための綱を通す部分である「鈕(ちゅう)」が、日本では「竜頭」と呼ばれていました。

蒲牢(ほろう)の装飾がある紐(ちゅう)

竜の頭のような形状になっていて、鐘をつり下げる役割を持っています。
上の写真は、増上寺大梵鐘の蒲牢です。

姿が龍に似ていて、よく吼えると言われた「蒲牢(ほろう)」という中国の伝説中の生き物の頭が装飾としてあしらわれたからです。まだ時計がなかった昔々は、お寺の鐘の音が時計の代わりを果たしていましたから、伝説の「蒲牢」にあやかって、鐘の音が遠くまで良く響いて欲しいという願いがこめられていたのでしょう。

 

やがて、江戸末から明治にかけて、西洋の文物が入ってくるようになると、輸入品の懐中時計が日本に入ってきました。鐘の音の役目もだんだん懐中時計に引き継がれていくのですが、その懐中時計に紐や鎖を通してつるす部分を、鐘と同じく時を告げるものをつり下げる部分ということで、「りゅうず」と呼ぶようになったのではないかと思われます。

懐中時計のりゅうず

ヨーロッパの「りゅうず」は王様の冠

ヨーロッパでは「かんむり」を意味する単語が「りゅうず」を指すことが多いようです。
例えば、「crown (クラウン、英語)」、「couronne (クロンヌ、フランス語)」、「Krone (クローネ、ドイツ語)」。
これらはいずれも「かんむり」を意味します。

 

何故、「りゅうず」を「かんむり」と呼ぶようになったのでしょうか?
発明された当時の時計は大変貴重なものであったこと、時計の装飾が時計の上部にほどこされていたことが、その理由と考えられます。
「貴重なもの」の「一番上にある丸いもの」ですから、「かんむり」を連想するのはごく自然なことだったのでしょう。

時計の携帯化

身につけられる時計(当然機械式です)が初めて作られたのは16世紀のドイツといわれています。
針は、時針一本だけで分針も秒針もなく、一日二度はねじを巻かねばならず、おそらく1日に数時間は時刻がズレるだろうというものでした。
時刻を知るという意味ではおよそ実用にはほど遠いものでした。

 

それでも、当時の最先端技術の粋(すい)を集めた新奇な宝飾品として、時計は大変珍重されていました。
大変な貴重品ですから、肌身離さず持ち歩いたことでしょう。
時計を衣服に取りつけるか、ペンダントとして鎖を通して首から下げるのが一般的だったようです。

メラヒトン時計

16世紀前半に作られた最初期の携行型時計です。
高さも幅もおよそ5 cmの大きさです。
(CC) The Walters Art Museum

携行時計の進化

17世紀になると服装が変化して、男性は時計を首から下げる代わりにポケットに入れるようになります。
これは、イギリスのチャールズ二世がウェストコートを取り入れてからともいわれています。

 

ともあれ携帯用の時計の形は、ポケットに合うように、現在の懐中時計と同様の、丸くて平たい形に近づいていくのです。

丸く平たくなっていく時計の例

まだ「りゅうず」はかざりのまま

17世紀半ばの「ひげぜんまい」の発明などをきっかけに、携帯用の時計の精度は飛躍的に向上し、18世紀から19世紀にかけて、時計をめぐる技術はすばらしい発展を見せます。

 

しかし、それでも、りゅうずの役割は、19世紀半ば近くまで、鎖を通すためと、時計の上下の判別をするため、にとどまっていたのです。
ねじを回すのも時刻を合わせるのも、時計の背面に専用の鍵を差し込んで行っていたのです。
現在から考えると、かなり不便なものでした。

現在の「りゅうず」の誕生

1842年、ジャン・アドリアン・フィリップ(Jean Adrien Philippe、フランス)は、ねじ巻き/時刻合わせ用の軸を、それまでの時計の前面や背面から、時計側面に移動させたムーブメント(時計本体の心臓部分のことです)を発明しました。
これは、「りゅうず巻き上げ/時刻合わせ機構」と呼ばれ、現在の機械式腕時計の機構とほぼ同じことができる素晴らしい発明でした。
飾り気も失い、すっかり鎖留め、ひも通し程度の飾りにすぎなかった「りゅうず」は、このとき初めて時計の内部機構と関わりを持つようになり、「時計部品」の一部になったのです。

 

この方式の時計はほどなく主流となり、ねじを専用の鍵で回す鍵式時計を過去のものにしました。
携行用の時計の主流が、懐中時計から腕時計へと移り、自動巻時計がポピュラーになり、さらにはクオーツの時代を迎えて多くの時計の動力が電池となっても、りゅうずは人が時計とつきあう重要な窓口でありつづけています。