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時差について

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海外に電話やメールをするとき、相手先の現地時刻を気にすることがあります。
「今日本は、午後3時だから、ニューヨークは...」


地球は丸く、太陽の光が当たる場所は常にその半分なのですから、地域によって時刻が異なるのは当たり前です。
こうした、地域による時刻の差を「時差」と言います。
腕時計には昔から、時差機能を搭載したものがあり、そのような時計では相手先の現地時刻を表示させることができます。


そもそも、時差とは何なのでしょうか? ここでは、そんな「時差」についてお話をします。

時差って何だろう

海外旅行や海外からのスポーツ中継のときなどに、実際に体験したり、見聞きしたりしますけれども、時差とはいったい何でしょう。


たとえば、国際電話やネットのチャットなどで遠くとやりとりしていると、同じ時間を共有しているんだから、時刻も共通にしてしまっていいのにな、という気持ちになります。
その一方で、夜の日本テレビで遠いよその国に太陽が照っているのを見ると、昼夜全く違うんじゃ、時刻はそれぞれじゃないと困るな、とも思います。
さらに言えば、そもそも遠いよその国のことがすぐに伝わってこなければ、また、高速で行き来ができなければ、時差は普段の生活にはあまり関係ないもののような気もします。


その土地土地で見える太陽を頼りにして、大昔から時間を区切ってきた人間が、どうしてその土地を越えて、時差というものを意識して設けなければならなくなったのか。
そのことをここでは想像してみましょう。

昼間のところと夜のところ

地球は丸くて自転していますから、あるときに、太陽のほうを向いているところと、太陽のほうを向いていないところがあります。
太陽のほうを向いているところが昼の場所で、太陽のほうを向いていないところが夜の場所です。


ところで、ほとんどの動物は、明るい時間に行動します。
人間も例外ではなく、昔から明るい時間を昼と定め生活してきました。
動物を狩ったり、貝や木の実を採集する生活から、麦や米を栽培し収穫する生活に移行していくとき、人々は集団を作り協力して生活する社会を作るようになります。
麦米は植物ですからその成長に日光を欠かすことはできません。
人々は次第に一日の太陽の動きに注意を払うようになったと思われます。
また、共同生活に意思疎通は欠かせませんから、言葉と時間についての意識が著しく高まり始めたのもこの頃なのでしょう。


皆で一斉に起きて皆で一斉に仕事をすると効率もよく、より大きな活動をすることが可能になります。
そのためには、みんなの生活行動を整えることが必要です。
とはいえ、時計があるわけではありませんから、日の出とともに起きて活動し、日の入りとともに活動を終えていたことでしょう。
こうして、ある一定の範囲で協力して生活する人たちの間で通用する時間、地域共通時間が誕生したものと思われます。


時差のもともとは、大まかにいえば、これまで見てきたような地域共通時間が地球上のそれぞれの場所で昼と夜のタイミングが異なることによるものだ、と言うことができそうです。
もちろんこれは、時計が発明されるよりも遥か昔、およそ5000年から10000年前のできごとです。

太陽の動きを観察する

明るくなったら起きて食べ物を探し、暗くなったら寝る、という暮らしであれば、昼と夜以上の時の区分はさして必要ありません。
ですが、集団での定住が始まり、共同体ができて、生活が複雑になってくると、時間にももう少し細かい区分がいるようになっていきます。
その区分に使われたのが、太陽の動きです。


一日の日の出から日の入りまでの太陽の動きを注意深く観察すると、地球上のたいていの場所では太陽は毎日きれいなカーブを描き、しかも一定の速さで動いていることに気がつきます。
日の出から日の入りまでの時間のちょうど半分まで、太陽は昇り続け、その後は太陽は地平線に向かって降下していきます。
つまり、ちょうど半分のとき太陽は、一日で最も高い位置にあるのです。


現在でいえば、これは正午を決めたことになり、これによって午前と午後の区分が生まれました。
これが時間を区切っていく最初の基準になったにちがいありません。
太陽の動きによって区切られた時間は、共同体全体で共有されて、日時計や、後には教会やお寺の鐘などによって司られるその土地土地での時間が成立していったことでしょう。

標準時の成立

さて、土地により、ところによって、いつ太陽が出ているかは異なります。
太陽を基準にして時を作ると、土地土地で違う時間ができることになります。
いうなれば、時を告げる鐘の分だけ時間があったわけです。


それでも18世紀までは、細かい時間の違いが問題になるほど正確に時間を刻める時計も多くはありませんでした。
人が遠距離を高速で移動することもあまりなかったので、土地ごとの時間の違いはさしたる問題にはなりませんでした。
外洋航海のために正確な経度を算出する必要から、特定の基準線からの時刻の差という考え方は徐々に広まってはいました。
けれども、ごく一般の人々も巻き込む形で、ある一定の範囲の地域に共通の時間を定める必要が生じてきたのは、鉄道の時代、19世紀のことです。

鉄道により、これまでとは比較にならないくらい多くの人が広い地域を高速で移動するようになります。
行った先の土地土地で時計を合わせ直さなければならない不便さを味わう人の数が格段に増えました。
また、鉄道を運行するには、正確な時間に則ることが欠かせませんが、一体どこの時間にあわせるべきなのでしょう。


さらに、鉄道発祥の地イギリスあたりでは、東西方向に50 kmも移動すれば経度にして1度違いますから、時差を4分算入してもおかしくはないですが、それはあまりに煩雑ではないでしょうか。
そういったことからイギリスで生まれたのが、ある地域内で鉄道の運行に関わる時計の時間を共通にする「鉄道時間」の仕組みで、これが後に「標準時」になりました。
イギリスで標準時として採用されたのはロンドンの時間、すなわちグリニッジ平均時でした。
このとき地域共通時間は、「なんとなくこのあたり一帯」という感覚から離れて、初めて一定の面積を明確に意識するようになったといってよいでしょう。

時刻帯と時差の誕生

さらに、この標準時の考えかたをより精密に規定して、地球全体に適用してみてはどうか、という人が現れます。
サンドフォード・フレミング卿(Sir Sandford Fleming、イギリス/カナダ)です。
サンドフォード・フレミング卿は、次のように考え、地域ごとの標準時、つまり時刻帯を提案しました。

地球1周360度を24時間で割った経度15度の範囲を共通の時間としそれをひとつの時刻帯とします。
隣り合う時刻帯と時刻帯とは1時間の差、つまり時差を持つわけです。


サンドフォード・フレミング卿は1884年、時刻帯の仕組みを世界に提案しました。
グリニッジ子午線が経度の基準たる本初子午線として国際的に採用された、国際子午線会議の席上でのことでした。
会議の目的から外れているという理由で採用されなかったこの提案でしたが、結局1929年までには主要国のほとんどで時刻帯が採用されることになりました。


現在わたしたちが意識し、時計などで設定する「時差」の基本が成立したのはこのときといえましょう。

ちょっとよりみち

「時刻帯はいろいろ」

理論的には24個あればよく、経度を15度ごとに区切ればよい時刻帯も、実際には地理的な理由や政治的な理由でいろいろ複雑な形になっています。
日付変更線が島をよけて曲がりくねっているなどは序の口、どの時刻帯を採用するかについてさえ、それぞれの地域の考えかたを反映して、不思議なことになっています。
たとえば、中国は単純に経度でいえば5つの時刻帯にまたがる国ですが、日本より1時間遅い時間を、全国統一の標準時として採用しています。
ですから、ほぼ同じ経度の中国ウルムチ市とインドのコルカタ(カルカッタ)市ですが、ウルムチが12時のときコルカタはまだ9時半、正午とはいえまだまだ日は東に、という塩梅です。


また、ロシアのサンクトペテルブルク、ベラルーシのミンスク、トルコのイスタンブールもおおむね似た経度なんですけれども、サンクトペテルブルクが12時のときにミンスクは11時、イスタンブールは10時です。
パリやマドリッドも経度としてはロンドンと同じ時刻帯でもおかしくないですから、時刻帯というのは人の世の都合に強く左右されていて、土地の経度だけから時差を計算するのはまず無理だ、というのがよくわかります。


最近では、2011年3月27日にロシアのモスクワと日本との時差は、それまでより1時間短くなり、5時間になりました。
その後、2014年10月26日に、再び時差が6時間になりました。

いろいろな時刻帯との関わり

時刻帯と、現代的な意味での時差ができておよそ100年あまり、通信と交通手段の発達によって、現代は、いろいろな時刻帯に生活する人々がかつてなくそれぞれの時間差を意識しながらやりとりをする時代になりました。


時間は生活をともにする人々に共有されることで、地域共通時間になりました。
やがて天体の規則的な運動を基礎に精度を高めていくうちに、人々の生活圏も広がりを持つようになり、地域共通時間は限界を迎えます。
そのような中で、複数の地域共通の時間を相互に関連づける「時差」概念が生まれました。
時間には、ともに生活する人々との意思疎通をはかり互いの利便性を向上させる目的があることを考えれば、社会的な必要性に応じて変化していくのはむしろ当然なことなのかもしれません。


将来、人の生活圏がさらに広がり、月や太陽系の星々に人が定住するようになれば、時間はまたその姿を大きく変化させるに違いありません。