story #02
銅冶 勇人
CLOUDY代表
アパレルブランド CLOUDY を立ち上げた銅冶勇人さん。
世界最大級の金融グループ、ゴールドマン・サックスを退職して、、
なぜこの道を選んだのでしょうか。
幼少期、「やってもやらなくてもいいなら、やろう」というのが両親の教えでした。
小学生の時、年に2回ユニセフの募金があったんですけど、
みんなは封筒に入れてお金を持ってくるのに、我が家だけジャラジャラの小銭だったんです。
それは両親に「誰かのために何かをしたいのであれば、自分でしっかりやりなさい」と言われたから。
ゴミを出す、お風呂掃除する、食器を洗う、そういうことで10円とか20円を兄貴と二人で海苔の缶に集めて、それを持って行きました。
もしかしたらそれが、今の自分の活動に繋がっているのかもしれません。
まず、やってみる。
失敗することより、やらないことの方が最悪な選択だと思っているので。
別にたいそうなことじゃなくてもいいんです。
友達のためでも、家族でも、誰かのために喜んでもらうことって何なんだろうな、って
考えられる時間が1日の中で少しでも増えたら有意義だなと。
大学4年生の時、テレビ番組「ウルルン滞在記」の影響で、マサイ族に一人でホームステイに行ったんです。
その時、アフリカで2番目に大きいスラム街を訪れたんですが、その情景があまりにも衝撃的で。
「一生かけて、この人たちのために何かをやっていきたい」と決意しました。
帰国してすぐ、就職が決まっていたゴールドマン・サックスに入社。
毎日仕事をこなしていくのが精一杯で、ほとんど寝てない日々が続いて。
でもアフリカで出会った彼らのことがずっと支えになっていました。
彼らの環境と比べてみれば、自分の悩みなんて些細なことじゃないかと。
ずっと送金は続けていましたが、もう一度同じ場所を訪れた時に、ちゃんと組織として公式にサポートしていきたいと思い、
会社に勤めながらNPOを作ることにしました。
もうひとつ、今の活動を始める大きなきっかけになったのが、東日本大震災でした。
いろんな情報が錯綜する中、自分としては現地に行かないという理由がなくて、先輩のトラックを借りて毎週現地に向かいました。
会社の人たちも、物資を持ってきてくれたり、ものすごく応援してくれました。
その時から、誰かが喜んでくれたり、今必要なことをアクションに変えることを仕事にできたらいいなと思うようになりました。
入社して7年経ったある時、部下に「そっち(アフリカの活動)の方が生き生きしてて楽しそうですね」と言われたんです。
その瞬間に「辞めなきゃいけないな」と思いました。部下にとって、目指すべき人間でなくなってしまったんだなと。
もうこのチームにいてはいけないなと思い、翌日辞表を出しました。
退職後、CLOUDY というアパレルブランドを立ち上げたんですが、ファッションっていうのは、実は後付けだったんです。
現地で仕事を作るためにはどうしたらいいのかをずっと考えていて、
現地で継続して雇用を生み出していくためには、その土地に根付いたものでなければ長続きしない。
生活に根付いていた「縫製」と、文化である「民族柄」、
この二つをうまく組み合わせれば、
ファッションの世界でもチャレンジできるんじゃないかと思いました。
僕らの工場で働いてくれている人たちって、学校に行ったことがない人とか、
ハンディキャップを持った方とかいっぱいいるんですけど、教育を受けていないと、センチメートルがわからないんですよね。
足し算もできないし、英語もできないから言葉が通じない。
そういう人たちと時間をかけて関係を育みながら、ようやくスタートにこぎつけたっていう時に、
なんとミシンがなくなったんですよ。ある女性が勝手に売ってきちゃったんです。
もう愕然として。「こんなことだったらやめた方がいいな」とさすがに思ったんですけど、
もし自分に子どもがいて、明日食べさせるお金がないという現状を突きつけられたら、自分もやっちゃうなって。
逆に、自分のものさしだけでこういう物事を考えていて、彼らの生活とか文化とか生き方とか全然考えていなかった。
本当の意味で、現地の人たちのものさしとか、大事にしていることをしっかり尊重しながら、
ルールも他のことも含めて一緒に作っていかなきゃと気づかせてもらいました。
日本の人も、アフリカの人も、みんなくもりを抱えて生きている。
それは不安とか、自信のなさとか、差別とか、それぞれ違うと思うんですけど、
それをきちんと生きていって、晴れの日を迎えるために、みんなで前進していけたらと思っています。
銅冶 勇人(どうや ゆうと)
アフリカの女性たちの雇用創出を目的に自社縫製・生産工場を運営するアパレルブランド CLOUDY の代表。
今後10年間に1万人のアフリカ人女性の雇用を目指す。
CLOUDY オフィシャルサイト