CITIZEN x TRANSIT "Friday Flight"
CITIZENの公式SNSアカウントで配信中の
世界中を旅しながら美しい写真と世界の断⽚を切り取るストーリーを綴る連載「FRIDAY FLIGHT」。
TRANSIT編集部による優美な写真と文章が、
CITIZENの腕時計たちを彩ります。
#fridayflight
配信日時 毎週金曜日17時
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「気のおけない友人とはしゃぐ女子旅」
まだまだ寒さの残る日本からエスケープ。 常夏の国でゆっくりと過ごす時間はいつだって最高だ。学生時代からの親友と休みを合わせ、4カ月前から楽しみにしていた旅行。行き先は、物価が安くグルメが充実していると会社の先輩に勧められたバンコクにした。彼女と一緒に旅行するのは大学の卒業時以来。当時は2人が所属していたヨーロッパ文化関連のゼミにちなんで、フランスに行ったなぁ。
彼女も私も、タイは初めて。実は少し治安や衛生面に不安があったのだけれど、到着してみて驚いた。建物はとてもモダンだし、人びとはおしゃれだし、洗練されたレストランやバーも思った以上に多い。彼女も同じことを思っているようだった。噂通り食事も毎食おいしく、滞在2日目にしてバンコクのトリコだ。
今日訪れたのはタイ・シルクで有名なブランドの創始者、ジム・トンプソンというデザイナーの家。今は博物館になっているのだけど、住んでいたのが1950年代とは思えないほどインテリアのセンスが抜群で、建築自体も美しく、うっとりしてしまった。お土産ショップでは、お目当てのシルクのハンカチを物色。色んな柄を手に取って見ていると、隣で友人も同じことをしているのに気づき、顔を見合わせて笑った。「やっぱり私たち好きなものが似ているね(笑)」
おそろいのハンカチを手に入れたあとは、どこかで一休みすることに。せっかくだから、タイらしいスイーツなんてどうかなぁ……なんて考えていたら、彼女がガイドブックを広げて指をさし「ここは?」と一言。〈MANGO TANGO〉はその名の通り、マンゴーデザートの人気店。そう、まさにこういうのが食べたいと思ってた! 長年変わらぬ友人との関係性に、なんだか少し感動。2度目の2人旅も、素敵な思い出になるといいな。
【1枚目:クロスシー EC1165-51W】
【2枚目:クロスシー EC1112-06A】
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「マイナス30℃、氷に覆われた湖」
「冬になると湖がぜんぶ凍って、車がその上を走るんだ」。旅好きの友人の勧めを半分冗談だと思いつつも、モンゴル北部にあるフブスグル湖を訪れた。ウランバートルから丸2日も車を走らせて到着したときは、体が動かなかった。それは目の前の絶景だけではなく、マイナス30℃という気温のせいでもあった。「冬のモンゴルは寒い」とは言われていたものの、氷点下を大きく下回る寒さの極みというものをまったく想像できていなかったのだ。
震えながらも凍りきった湖を歩いてみる。氷の厚みは1.5mほどあるというが、透明すぎてまるで浮いているような感覚になる。「この湖はそのまま飲めるくらいきれいなんだ。今は凍っているから飲めないけどね(笑)。でも不純物がないからこんなに透明な氷ができるんだよ」。ときおりピキピキという氷が軋む音が遠くで響く。
フブスグル湖に限らず、冬のモンゴルでは川や池などはすべて凍ってしまう。車にとってそれは「道」になるが、犬ぞりという冬ならではの移動手段も登場する。「せっかくだから犬ぞりに乗ってみない?」という提案を二つ返事で快諾し、凍った川をそりに乗って走っていく。
子どもの頃、雪が降るのが楽しみでしかたなかった。「童心を忘れていたかな…」と気づけば寒さなんてすっかり忘れ、犬の目線で進んでいく白い世界に浸っていた。
【着用モデル:PROMASTER BN2036-14E】
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「トナカイと暮らす山の民のもとへ」
はじめて訪れたモンゴルだが、大草原と馬、そしてゲルと人びとといったモンゴルの代名詞的旅には見向きもせず、最北部に住むツァータン族の村を訪れることにした。ツァータン族はトナカイと暮らす遊牧民。馬や羊、牛ではなくトナカイというところに惹かれ、人づてに情報を集め、やっとの思いで村までやってきた。
しかし、ここまでの道のりは長かった。オフロードタイプのSUVはぐいぐいと道なき道を進み、丘をいくつも越え、どこまでもつづく針葉樹の森を走りつづけ、2日かけてようやくたどり着いたのだ。
オルツと呼ばれる木と布でできたテントのような建物が家。雪の舞う夜だが、オルツのなかは薪ストーブのおかげで温かい。構造はすごくシンプルだけど、遊牧民であるがゆえ移動しやすいのが最重要なのだ。1家族あたり何十頭というトナカイを放牧させるため、1年に何度も住む場所を変える。なので決まった「村」はなく、今どこにいるのかというのは行ってみないとわからない。
そんな生粋のノマドの一家は、突然押しかけてきた僕に興味津々だ。僕にとっても彼らは「変わっている」けれど、彼らからしたら僕も「変わっている」のだ。でも、そんな異邦人を最大限にもてなそうとしてくれるのがひしひしと伝わってくる。
夜、オルツを抜け出して空を見上げてと、まさしく満天の星空。「はやく入らないと凍えて死んでしまうよ!」時間を忘れて見とれていたら、戻らない僕を心配して声をかけてくれた。かじかむ手をもみながらオルツに入ると心地よい暖かさに包まれた。それはにこやかに迎えてくれる、ツァータンの一家の優しさだった。
【着用モデル:PROMASTER CC3064-86E】
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「インドへの未知なる旅」
妻に連れられて、40歳にして初めてインドに来た。好奇心が強く自由奔放な妻は、学生時代からアジアや中東を飛び回っていたらしい。一方の私は、いわゆる本の虫。未知なる世界に身を置くことが苦手なたちで、インドへ行くなどと考えたこともなかった。だが久々に休みの合った妻に誘われ、半ば強引に連れられて、今インドのジャイプールにいる。
妻は久しぶりのインド旅に心を踊らせている。「あなたもインドが好きになるわよ」こちらの心配を他所に、臆することなくインドの渦の中に飛び込んでいく。その笑顔は昔と変わらずかわいらしいが、同時に、今は少し憎たらしくも感じる。ピンク・シティの異名をもつジャイプール随一の観光名所、ハワー・マハル(風の宮殿)はたしかに美しい。だが、人も車も牛も犬も溢れかえる、混沌とした街なかを歩くのは不安だし、独特の匂いが鼻を刺激する。悶々としながらも、牛の糞を踏まないよう慎重に歩いていると、颯爽と前を行く妻と距離が離れていく。ああ、インドなんかやっぱり来るんじゃなかった。
歩き疲れてチャイの屋台(本当は屋台の飲食物にも抵抗があったが)で休んでいると、妻が突然西方を指差した。「見て、太陽が沈むわ」。あたりは薄暗くなり、建物は伸びやかに影を落とす。空を仰ぎ見ると、思わず感嘆のため息が漏れた。さし込んでくる陽光と宮殿のシルエットが織りなす空間は、ファンタジーの世界のようだ。街はうっすらとピンク色に染まり、言葉では形容できないほど美しい。
夕方の太陽が、妻の横顔を照らす。「昔見たジャイプールの夕日が綺麗だったから、一度あなたにも見せたかったの」といたずらっぽく笑っている。やさしい光に照らされたジャイプールの街を見ていると、インドが少しだけ好きになれそうな気がした。
【着用モデル:ATTESA AT8040-57E】
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「ノスタルジックなラッシーの味」
ジャイプールを訪れたのは10年以上ぶりだ。先日旧知の友人と思い出話をして以来、インドに行きたい衝動が抑えられず、思い切って休暇を取った。大学を休学して海外を放浪していた頃、大半のバックパッカーと同様に私もインドにどハマりして、数カ月過ごしていたのがここジャイプール。私は空港から出ると、体いっぱいに空気を吸い込んだ。
この街が「ピンクシティ」と呼ばれるようになったのは、イギリス統治時代に本国からやってくる王子を歓迎するため、王子の好きな色に街全体を彩ったからだとか。若かりし頃の私は、街中に渦巻く混沌と、そびえるピンク色の建物の神秘性のギャップに心を奪われたのだった。その美しさは今も健在で、タクシーのなかから街を見渡していると、高揚感と安堵感を同時に覚えた。
翌日は早目に支度して散策に出かけた。まず直行したのは、インドで一番美味しいと評されているラッシー屋〈LASSIWALA〉。あたりは地元民ですでに賑わっている。早速ラッシーがなみなみと注がれた素焼きの器を受け取り、ゆっくり一口含む。とにかく濃厚、且つ甘すぎず爽やかな味わい……そうそう、コレなんだよね〜!なんて感激していると、つい口元が緩んでしまっているのが自分でもわかって少し恥ずかしかった。
ラッシーを入れる素焼きの容器は、飲み終わったら捨ててしまう。衛生面を考慮すると、水道水で洗うよりも壊してまた焼き直す方が安全ということらしい。ここで暮らしていたときに誰からともなく聞いた話を思い出した。指定の大きな入れ物に、私も空になった器を落とした。パリン、と飲み口の一部が欠ける。少し寂しい気もしたけれど、その音色は優しく心地よく、まるでスタートの合図のように私のなかで響いた。さぁ、ノスタルジーに浸る時間は終わり。新しい旅に出かけよう。
【着用モデル:ATTESA BY0140-57L】
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「喧騒から離れ、田舎の村へ」
ニューデリーでの買付作業は思ったよりも大分スムーズに運び、あと数日、自由にできる時間が残った。チャーターしていたタクシーの運転手を相手にそんな雑談をしてみると、すすめられたのが「サモード」という村へのショートトリップ。「絶対に行くべき!」というその場所には、かつてマハラジャによって建てられた豪邸や歴史的建造物が残っているらしい。そんな熱弁に興味を惹かれ、私は彼の話にのってみることにした。
翌朝彼にホテルまで迎えにきてもらい、約6時間かけて目的のサモードに到着。そこは、ニューデリーのようなけたたましいクラクション音のない、自然に囲まれたのどかな場所だった。牛や山羊や野豚といった動物たちが石畳の道の上をゆっくりと歩いていて、建物の壁には鮮やかな細密画が描かれている。人の姿はまばらだ。
タクシー運転手の彼はゆっくりと車を走らせながら、いろいろなことを教えてくれた。「あれが宮殿を改装した素晴らしいホテルだよ」「この奥にある山で天然石が採れる」「そこが村で唯一のお菓子屋だ」。やけに詳しいな、と思っていたところで彼が一言。「実は、ここは僕の故郷なんだ」
道端で遊んでいた子どもたちがタクシーに気づいて駆け寄ってきた。完全に停止した車の窓に子どもたちが群がり、運転手の彼に向かって楽しそうに大きく身振り手振りを交えて話している。何を言っているかは分からなかったけれど、後部座席から見えた子どもたちの屈託のない笑顔は、全く無関係の私でさえもなぜか愛おしく思えた。あぁ、この美しい故郷を私に自慢したくて、彼は昨日あんなに一生懸命提案してきたんだな。そんなことを思いながら、しばらく彼らの会話に耳を傾けていた。
【着用モデル:BY0140-57L】
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「何気ない温かさ」
着陸時のちょっとした衝撃で目が覚めた。荷物を持って外に出ると、気温は20度に近く、ダウンジャケットのままでは汗ばんでくる。刺激を欲して日本を出たのだけれど、台湾は無難すぎたかな……。出発前に一瞬そんな考えが浮かんだが、周囲で飛び交う中国語にすでに少し緊張しながら歩いている自分がいた。
台南駅行きの電車の乗車券を買おうと列に並んでいると、私の背から発せられる不安を感じ取ったのか、うしろから品のいい老人が声をかけてきた。「どこへ行きたいんだ?」と中国語で聞かれて(いるような気がして)、「台南」とつぶやくと、老人は窓口の人と話をして乗車券を受け取り、私に手渡してくれた。咄嗟に「シェイシェイ(謝々)」と言うと、その老人は嬉しそうに微笑んで去っていった。
無事台南駅に到着。普段日本では飲むことはないだろう、ほんのり甘い『黒糖タピオカミルク』を片手に、地図も見ないまま一人フラフラと歩く。街は穏やかながらどこか活気があって、その新鮮な空間に身を置いていると、どんどん生気がみなぎってくる心地がした。
街の雰囲気にも徐々に慣れ、肩の力が抜けると、急にお腹が減ってきた。いい匂いにつられて歩みを進めると、そこは街の食堂。鰆フライに甘酸っぱいとろみスープがかかった”ドゥトゥオユーグン”という台湾名物を出す老舗の人気店だった。席に着くなり、隣の席の小柄なおじさんがスルリと近づいてくる。強張った顔の私をじっとみつめると、自分の食べかけの器を指差し、次に親指を立てるサインをしながら「ナンバーワン!」と一言。そのおじさんの自慢気な表情がとても愛らしく、私は思わず笑ってしまった。この短い旅の時間は、今の自分にとってかけがえのないものになる予感がした。
【着用モデル:BY0140-57L】
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「父との約束」
社会人になって7年目。
仕事も面白くなってきていたけどさらなるキャリアアップのために留学を決意してサンタバーバラに。突然のことで会社の上司や同僚は驚いていたけど、父は意外にも笑顔で「思いっきり楽しんでこい」とひと言。
留学先のUCSBでは授業について行くのがやっと。年下のクラスメイトに助けられてばかり。英語もままならない僕に優しくしてくれるのは共通の趣味のサーフィンがあったから。
最近では海だけでなく、山でキャンプしたりショートトリップする仲に。サンタバーバラの大自然を眺めては、自分の決断に間違いはなかったと実感する。
どこへ行くのにも身につけているのが父から「旅立ちの祝いに」と贈られた時計。メローな海でも、緊迫した授業中でも時間をチェックするたびに送り出してくれたときの父の言葉を思い出す。
時間は平等に流れていく……。
だからこそ自分なりの充実した時をしっかり刻んでいきたい。【着用モデル:CC3067-11L】
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「砂漠で感じる贅沢な時間」
仕事でLAに住み始めて約3年。
ダウンタウンの近くに住んでいるせいか、渋滞以外は便利な生活を満喫している。都会ならではの慌ただしさは東京とさほど変わらないが、日本よりは少しゆるいムードなのがいい。
それでも時折、都会のしがらみから抜け出したい衝動に駆られる。
そんなときは携帯電話の電源をオフにしてパームスプリングスへ一人ドライブする。ハイウェイ10を走ること2時間弱。ゴツゴツとした岩肌が見えてくる。
そこには民家もガソリンスタンドもなくひたすら砂漠が広がっている。雄大な山々を眺めてゆっくりと深呼吸。聞こえてくるのは、自分の鼓動。大自然の波動まで聞こえてきそうだ。時間の感覚を忘れそうになる。
ふと時計を見ると、ランチの時間をとっくに過ぎていることに気がつく。老舗のダイナーへ立ち寄ろう。
昔からあるチェーン店だけど他とは違いダウン・トゥー・アース、地に足着いたムードが好きなのだ。昔のパームスプリングスの風景写真がディスプレイされてギャラリーみたい。
オーソドックスなバーガーはとてもジューシーでバンズも絶品。好物のオレオシェイクとも相性がいい。ゆったり大地の蠢きを感じる時間、美味しい食べ物を味わう時間。僕にとってこの上ない贅沢な時間だ。
【着用モデル:BN4046-10X】
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「成功マインド」
忙しいスケジュールに追われて、東京で毎日仕事を頑張ってきたけれど、最近うまく流れに乗れていない。気がつけば同じことばかり考えてこの先どこに進んでいいのやら……。そんな頭の中のモヤモヤを断ち切るために思い切って週末ひとり旅を決行。行き先はLA。
学生時代に訪れて以来だ。都会なのに、空が広くて海が近くて、人ものんびりしていた空気が好きだった。空港から降り立つと、あの頃と変わらない青空が気持ちよく迎えてくれた。
そうだ、賑やかなビーチタウンに行こう!!さっそくUberに乗ってヴェニスへ向かった。
ビーチから少し歩くとお洒落な通りアボットキニーがある。ここは世界中のファッショニスタが集まるストリートだ。花屋さんを覗いているときに「その時計可愛いね!」と店員に褒められたり、オーガニックカフェでスイーツを頬張っていると「なんていうメニュー?」と、隣のカップルに人懐っこく話しかけられる。LAでは日常的なことのようだけど、このたわいもない会話が私を笑顔にさせてくれた。
最近、いまこの瞬間を楽しむのを忘れていた気がする。まだ見ぬ未来に不安になったり、過去の失敗にくよくよしてばかりいて、目の前にあるちょっとした幸せに気づけていなかった。
夕暮れ時、ハリウッドサインを眺めながら、小さく背伸びする。都会にいても自分のペースで時間を刻んでいけばいい。
私なりの成功マインドが見つかった気がした。
【着用モデル:EC1144-51W】
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「待ち時間の回想」
彼女を追いかけてLAに飛んできた。
と言っても、海外出張が多い僕たちにしてはそれほどスペシャルなことではなく、海外デートはたまにあるイベントだ。いつもは彼女を待たせる側なのに、今回は彼女の連絡をひたすら待っている。
その方が僕たちにとって特別かもしれない。とりあえずカフェに入って時計をLA時間に直そう。旅先でこの動作をする瞬間がたまらなくワクワクする。
久々のLAはすごく洗練されていて新鮮だ。
何度も訪れている慣れ親しんだ街だが時代とともに変化しているのが面白い。そもそも西海岸カルチャーにどっぷり浸かったきっかけは古着だった。
ヴィンテージリーバイスの掘り出し物には目がなく、ローズボウルにもよく通った。無駄遣いもしたけれどその経験は今のアパレルの仕事に十分活かされている。
そんなコレクター癖は社会人になった今でも変わらない。彼女曰く、加速しているらしい。そういえばカフェの隣にレコードショップがあったな。彼女から連絡が来るまでそこでこっそり時間を潰そう。
彼女を待つひとりの時間も楽しまなきゃね。【着用モデル:アテッサ / CA4390-04H】
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「古き良き、新しい、街」
いつ来ても、ソウルは新しい。
去年の春、ブリオッシュが美味しくて3日通いつめたベーカリーがコンビニになっていた。前回泊まったホテルの隣にあった激辛海鮮ラーメン屋さんのビルには「テナント募集中」の貼り紙。最近流行っているという平壌冷麺店には16時にもかかわらず行列ができていた。
ソウルは歩くに限る。今見ている街の景色は、次来た時にはもう無くなっているかもしれない。そう思いながら、目に足に、記憶を刻み込むようにして、歩く。
いつ来ても、ソウルは変わらない。
世界遺産のチャンドックン(昌徳宮)で、朝鮮時代の国王が暮らした部屋を眺め、宗廟に囲まれた北村韓屋マウルで散歩を楽しむ。100年以上の歴史をもつカンジャンシジャン(広蔵市場)の賑わいも、変わらない。キムパッ、コンク(豆乳)、ピンデトク(緑豆チジミ)……。てきぱきと料理をつくり、ひと時も休まないオモニたちの姿はひたすら清々しい。
餃子屋のベンチに腰かけた。キムチとナムルの前菜、そしてニラ餃子とキムチ餃子が目の前に並べられてゆく。手を合わせていただきますと言うと、その言葉に気がついたのか「日本人だね。一個オマケ!」と、山盛りの餃子の中から一つ、私のお皿にのっけてくれた。キムチ餃子は、ちょっぴり辛くて優しい味がした。
【着用モデル:xC / EC1165-51W】
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「青と白に見惚れて」
朝8時半に福岡からフェリーに乗り、お昼前に釜山港についた。大きな仕事が一つ終わって、気分転換がしたかった。でもそんなに長くは休めない。そんな時、私は東京でも京都でもなく釜山に行く。
釜山は海の街だ。海雲台ビーチに足を延ばし、砂浜を散歩した。白いパラソルがはためき、家族やカップル、旅人たちが自由な海時間を楽しんでいる。新しい高層ビルが増える一方、昔ながらの港町としての顔つきも健在。年季の入った食堂に入り、タラのスープ定食を食べた。
19世紀末に開港して以来、貿易港として栄えてきたという釜山。新鮮な魚介類がひしめくチャガルチ市場はまさに釜山の台所で、肉より魚派の私は、だからソウルよりも釜山が好きだ。ハングル語はなかなか読めるようにならないけれど、いつだって圧倒的なエネルギーをもらえる。
今回の宿泊先に選んだ民泊は、どうやらセンスのいい家主らしい。棚には陶磁器の器がずらりと並び、朝日が当たってさらに綺麗に見えた。家主はお茶が好きな人のようで、茶葉も豊富に揃えてあった。急須のところにカードが一枚。「Have a good trip!」 小さくつるんとした白磁の茶器を手に取り、緑茶を一服して考えた。こんな韓国もあるんだな。今日は帰りのフェリーの時間まで、陶磁器探しをしてみようか。
【着用モデル:CITIZEN L / EM0659-25E】
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「世界でいちばん美しい場所」
エベレストをはじめて登った登山家ジョージ・マロリーは「なぜ山に登るのか」という問いに「そこに山があるからだ」と答えたのは有名な話。
ネパールでトレッキングをするとなると、最低でも10日、欲を言えば2週間という日程が必要になってくる。そんな長旅、しかもずっと山となると、「なぜ」という問いを僕自身も受けることになる。マロリーのような答えをしないにしても、ランタン渓谷に限っては「世界でいちばん美しいから」が回答だ。
1950年代にネパールを調査した冒険家・H.W.ティルマンはその報告でランタン渓谷は世界でいちばん美しい場所だと記した。それから60年以上経った今も、ランタン渓谷には神々しい峰々、ヤクとよばれる高所に適応したウシを放牧して暮らす人たちがある。
渓谷の奥へと進むと村はなくなり、キャンプの日々がはじまる。人が暮らせるのは作物を育てることのできる4000m前後が限界。それ以上の標高には草一本生えていない過酷さを極める山々が連なる。薄い酸素にあえぎ高山病の恐怖に怯えてたどり着いた渓谷の再奥部には、神々しさすら感じさせる風景が広がっていた。
ただ息を飲むばかりの美しさを自分の目で確かめるために、僕は山へと向かうのだ。
【着用モデル:SATELLITE WAVE GPS / CC7005-16E】
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「旅人が集う街」
ネパールを旅するときはいつも、カトマンズには目もくれずに山へと向かっていた。
エベレストのベースキャンプ、アンナプルナ峰の周遊トレイル、そしてネパール最後の秘境と呼ばれるドルパ地方といった「世界の屋根」とも呼ばれる山岳エリアは旅人を惹きつけて止まない。旅の日数は限られているがゆえ、カトマンズは「中継地点」でしかなかったのだ。
ところが悪天候で国内線が飛ばないと聞き、なんの気なく街へと繰り出すことに。ところ狭しと雑多な店が並ぶタメル地区、緻密な木彫が施された建築群・ダールバール広場、巡礼者がひしめくカトマンズ最大の仏教寺院・ボーダナート…。クラクションが鳴り響く埃っぽいだけの街だと思っていたカトマンズは、ネパールの人たちが築き上げてきた暮らしと文化が詰まっていた。
コーヒー、ではなくチャイのスタンドでひとやすみ。地図を広げてこれからはじまる旅に思いを馳せつつ、顔を上げるとお土産売りのおじさんと目があった。ニコッと笑って差し出した手織りのマフラーを手に取ると、素朴で柔らかい手触りがした。
「カトマンズがなかったら、ネパールの旅は味気ないのかも」。目的地に行くだけが旅じゃない。わずかばかりの街の日々がふと愛おしくなった。
【着用モデル:Satellite Wave GPS F990 / CC7005-16E】
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「アメリの丘」
朝のパンの匂いで目を覚ます。時計の針はまだ6時を過ぎたばかりだ。まだちょっと早いけど、焼きたてのパンを目当てにさっと家を出る。モンマルトルを散歩して、目覚めのエスプレッソを一杯。
映画「アメリ」を観てから、モンマルトルの空想の世界に浸っていた。はじめて訪れたかの地は、想像の世界のそれだった。アメリが働いていたカフェもあるし、丘の上にはサクレクール寺院が悠々とそびえ立ち、パリの街を見下ろしている。
路地に入ると「MUSE」というお花屋さんを発見。店内を覗くと、日本よりもワイルドで、個性豊かなお花たちが所狭しと空間を彩っている。おしゃれなセレクトショップが並ぶマレに、歴史あるサンジェルマン、シャンゼリゼ通りもオペラ座も素敵。けど私のパリは、やっぱりモンマルトルだ。
【着用モデル:エコ・ドライブ Bluetooth / EE4019-11A】
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「新しい夜の都」
昼の光も美しいけど、オレンジ色の街灯が照らす夜も色鮮やかなのがパリという街。
いま私にとって面白いのがベルヴィルだ。駅を出て、坂道をのぼっていけば”ならず者”という、なんとも下町感溢れる店名のカフェが赤色のネオンを灯している。
小高い丘の上にあるこのエリアは、様々な人種が混じり合う下町というイメージから、かつては治安も不安視されていた。けれど最近は新しいお店も増え、ワインバー「La Cave de Belleville」は週末になると食にうるさいパリジャン・パリジェンヌたちでごった返すほどの大盛況。
店内では、ワインやチーズも売られていて、席がとれなかった人たちは商品が陳列された棚をテーブルにしてエスプリを効かせた会話を交わしている。そんなラフなスタイルがなんともパリっぽいと私は思う。
ワインを一杯やって、隣のラオス料理屋やベトナムのフォー、はたまた中華の餃子でしめるのがベルヴィルのスタイル。様々な人種が混ざり合うこの下町は、いわゆる”パリ”のイメージを覆し、リアルな街の姿を感じられる。
【着用モデル:CITIZEN L / EM0640-91D】
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「始まりの場所」
社会人になって8年が経ち、仕事もまかせてもらえるようになったし、給料にも納得していた。でもなにかが物足りない日々。両親を安心させようと、自分の気持ちを抑え込み、とりあえず就職をしてしまったことが心にひっかかっていた。
「憧れのファッションの世界に飛び込もう」そう決心した時は、パリ行きのチケットをおさえていた。初めての一人旅は、希望と不安がブレンドされたような心のなかをパッと明るくしてくれた。
セーヌ川の中州であるサン=ルイ島も、隣のシテ島とともに「パリ発祥の地」と言われる場所。私の新しい人生も始まったばかり。
そういえば腕につけたxCもサクラピンク、始まりの季節の色だ。セーヌ川にかかる橋のベンチに腰かけ、有名なアイスクリーム屋「ベルティヨン」でアイスを食べながら、そんな偶然にちょっと笑った。
【着用モデル:クロスシー ES9354-51A】
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「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」
パリのシンボルであるエッフェル塔が建設された当時、芸術家から猛烈な批判を受けていたのを知ったのは、大学に入って建築の勉強を始めた頃だった。
芸術家の一人は、パリで唯一エッフェル塔が見えない場所、塔の下にあったレストランに毎日通ったという。彼が残した言葉が頭にこびりついた。建築家として独立した今年、その言葉を思い出してエッフェル塔に行こうと思い立った。
夕日に照らされた塔は、石造りが基調の重厚で背が低い建物が並ぶパリではよく目立つ。その光を追って、下まで行ってみる。見上げると四つの足の稜曲線が空に向かって伸び、シャンパンゴールドに輝く。
かくいう自分も、高慢にみえるパリが苦手だったし、その象徴も好きにはなれなかった。でも自分の目で見たエッフェル塔は圧巻で、たしかに美しかった。先入観を捨て、新しいことにチャレンジしてみる。自分の世界が少しだけ広がった。
「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」
【着用モデル:アテッサ CC4000-59E】